48.目連尊者と母

お盆の季節となり、お塔婆のご供養を受けられる方のお戒名を書きながら、喜ばれているだろうなと思う。
 お盆はお坊さんを供養することが本来の意義です。僧を大事にすることにより、先祖の霊に功徳が与えられると説いています。
 そして、お盆の僧供養の発端になったのは目連というお釈迦さまのお弟子さんのある出来事から起こります。
 目連とシャリホツはお釈迦さまの右腕と左腕といわれた二大弟子です。
 目連は神通力を修行により体得し、さっそく、その力を試してみました。
 それは、亡くなった母が、死後の世界でどうしているかを知ろうとしたのです。
 さて、母はどうしていたかというと、生前の物惜しみや自欲が強かったため餓鬼の姿をしていました。
 物を漁りながら歩く母を見た目連は悲嘆しました。でも、すぐに食べ物を与えます。おにぎりのようなご飯を与えると、鷲づかみにして喰らい込むのです。でも、それが針のように細い喉につかえてもがき苦しみます。いそいで水をあげると、それが火となってもえ、母を苦しめるのです。
 目連は自分の力では母の餓鬼道の苦しみを救えないことを知り、釈尊に救いを求めました。
 その会話が盂蘭盆経として伝えられ、日蓮聖人もその解釈に従ってお盆の行事を行い、先祖の供養を行ないました。
 さて、日蓮聖人は『盂蘭盆御書』に、
  目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身、仏になるのみならず、
  父母、仏になりたもう
 と書かれています。
 法華経によって自分も母も仏になれたと書かれています。
 実はここが一番大事なところなのです。
 阿弥陀経にシャリホツの名前がたくさんでていますが、さて、そのシャリホツは阿弥陀経で仏になれたのでしょうか。
 違います。法華経の方便品で仏になれました。
 では目連はどうでしょう。
 そうです、法華経です。譬喩品で仏になれました。

 目連が修行を積み、神通力を得たといっても、阿羅漢までのレベルだったのです。
 それ以上の力があることを目連は母の餓鬼道から救えなかったことから知りました。
 仏教はすべて同じではないのです。釈尊50年の仏教、そのうち42年は相手に応じて説かれたのです。

 盂蘭盆会にあたり、お塔婆をお書きしながら、私はそのことを深く考えさせていただいています。