50.精竜の滝(7)

 夜になると真っ暗闇になり、星と月の有難さを感じる。
 日頃は街灯や高層建築物の外灯があるから暗闇をしらない。
 太陽の力。月の明るさに手を合わせる。
 精竜の滝道場はそういうところだった。
 現実からはなれた世界で自然の中にいることが心を清めるのだろう。
 日昼は農作業が主で、枯れ木を集めたり、道路の整備をする。
 冬は除雪が主になり、夜のお参りを勤め、食事、そしてお題目の行。
 ストーブのそばに暖めていた布団も、やっと湿気がとれる頃だ。
 アンカの炭もちょうどよくなる。
 ランプの下でそれぞれが仕事をする。
 尼さんはいつも縫い物をしていたように思う。
 老眼になり眼が不自由になったとき、お祖師さまに、もうしばらく老眼にならないようにとお頼みして、治ったことがあった。
 お経を読めないからとお願いされていた。
 私達の一番の楽しみは尼さんのお話しを聞くことだった。
 生家のこと。弁天堂のこと。函館や札幌の人たちの信仰に入ったきっかけなど。
 自身が寄りしろとなって、死者の霊をおろした話し。
 お酒を飲めない尼さんが男の人を体におろしたとき、胡坐をかき、一升瓶を片手に一気に酒を飲んだ話し。龍神さんのときには体を横にして畳を這い、壁に這い上がったことなど、初めて聞くことばかりだった。
 朝鮮の方が金山で働いていて亡くなった人がいて、お参りをしているとお経に寄せられて来ることがあったらしい。韓国語で話をされてくるそうだ。
 恐れ山のいたこおろしさんは、その方自身の声で話すが、本当にくると男は男、女は女、つまり本人の声で話すらしい。それは修行によって違うのかもしれない。
 私が聞いたのは、やはりその方の声で本人ではなかった。でも、話しぶりの口調は本人に間違いなかったことがある。
 人の恨み、怨み、死んだ人なら死霊、生きて怨んでいるなら生霊だ。
 動物も多い。
 函館の大きな網元さんのお嬢さんが具合が悪いので見て欲しいという話しがあり、その家にいってお嬢さんが寝ている部屋に通された。すると大きな白い狐が片足を娘さんの胸に置いて押さえつけていたとのこと。
 白い狐に訳を聞くと粗末にされたことが原因で、この娘の命はもらうということだった。
さっそく、この話をすると、父親は思い当たることがある。しかも、娘は小さいころから家に入ると白い狐が廊下にいると言ってたそうだ。
 その後、改宗し、御祈祷とお詫びをし、もとのところへ帰っていただいたそうだ。
 簡単にはできることではないが、法華経の力が強いということを、私達に教えて下さったのだ。                                 −つづくー