|
毎月18日に勉強会を行なうよう心がけています。今年は1・2・3・5・7・9・10・11月の8回行なうことができました。午前10時から先祖供養を行い、そのあと12時までの1時間ほどです。 普段は聞けないことを聞くことができる話もあります。 立正大学で仏教の講義や日蓮聖人の教学や宗門の歴史を学ぶことの中で、特に記憶に残るのは先生の個人的なお話しです。 先生方の若い頃の話し、大先輩の話し、失敗した話し、苦労話しなどは興味がありますし、そこに人間的な親近感をおぼえます。 特に、すでに他界している有名な先生のエピソードは耳をそばたてて聞いたものです、。 ちょうど、尼さんから東日教上人、御前さまのお話を聞くみたいでした。 私は幸いに御前さまと何度もお会いしていましたので懐かしく思いました。千葉県の中山の法華経寺にいたおかげです。奥の院にもたまに行って尼さんの弟子ということで可愛がってもらいました。 今は私がそのときどきの御前様についてエピソードとして話すようになってしまいました。 当時の奥の院ではお札も手作りでしていました。たいがい夜の仕事です。妙覚寺でもお正月のお札や星祭りのお守り、また、お盆のお塔婆も夜の仕事でした。昼間はする時間がなかったからです。とにかく尼さんがおられたころは忙しい毎日でした。 今考えると畑仕事もありましたし、冬は雪かきで一日中おわれることもありました。 お寺にはいるところに今はマンションになりましたが、以前は円山ガーデンがあり、そのところから除雪をしたことがあります。アスファルトになったのはかなり後のことで、冬はガタガタの道路になります。坂を登りきれずに、タイヤチエーンをかけて一気に駆け上らなければあがれません。もう一歩のところで、もう一回下がりやりなおしなのですが、その間、車が登っきたり、バックで下がってくる車もいます。 今は懐かしい話になりました。車を持っているのはお寺だけだったので、入り口まで雪かきもしました。そのときの尼さんや小入羽日才上人が思い出されます。小入羽上人が汗を流し下着一枚になって「もう少しだガンバレ」と言ったことは今でも忘れないものですね。私がその年代になりしみじみと思うことが多くなりました。 勉強会では日蓮聖人の教学ばかりではなく、親兄弟のこと、佐渡の流罪の政治的な陰謀についてなどもお話しました。また、お寺の建設についての状況とか、その時々のことをゆっくりお話しています。 日蓮聖人は比叡山で勉学を修めたかたです。日蓮聖人の教えは学問にもうらずけられています。いざとなったときにはしっかりとした理論を持っていないと法華経の尊さを言うことができないでしょう。 身延山におられた日蓮聖人は体調もありましたが、一部のお弟子さんにだけ特別の指導をされていました。それは問答の方法です。しかも内密にして外部に知られないようにしていたのです。御遺文に早勝問答という御書がありますのでご覧下さい。まだ入りたてのお弟子さんが日蓮聖人に直接教えを受けたかったようで、その方の手記にお堂の外でそっと耳をそばたててお聞きしたと述べられています。 修行の裏づけに学問は必要です。 仏教とはなんですか?法華経がどうして尊いのですか?日蓮聖人は激しいひとのようですね?南無妙法蓮華経とどうしてとなえるのですか? いろいろなことを勉強していきましょう。勉強会に参加してください。 |
|