52.修行の肝心は精神集中

 元旦の御祈祷を控え、10月頃からはそろそろと、11月にはしっかりと。いよいよ12月に近づきいよいよと思う。
 肝心なのは気持ちである。それを引き締めてくれるのは私の場合、否、妙覚寺では水行の水である。
 この水の冷たさが大事。
 ぬるいと、なんとなく物足りない。
 2年ほど前から夏の水行はやめた。水をかぶると体の中に暑さがたまるようになってしまったからだ。心臓に負担がかかるようになった。
 冷たい水も心臓に負担がかかる。

 昔、精竜の滝の道場の前の川で早朝に水行をする。
 罪障の深い者ほど先に水行をしたらいいということなので、私か妙宣さんが先に水行して、尼さんが最後に水行をされた。
 尼さんは50代の中頃には心臓が悪く、今は歯科になった石塚病院に何度か入院されている。そのときに尼さんが買ったナショナルのカラーテレビの赤い色が病室を明るくしていた。また、梅人で道新などに俳句を送ったのもこの頃である。
 その尼さんも精竜の滝に行くと水行をされていた。
 元旦の祈祷のころも水行をされていた。
 水が冷たくてお瀧の川に入れないと言っていた。
 川の入り口に石を寄せてその上に足を置いて水行をされていたことを、だいぶ後になって聞いた。私はそういうことを知らないものだから、邪魔な石だな、川の流れでここに石がたまるものと思って、わざわざその所を深く掘ったものだ。そのときにやっと理由を聞き皆で大笑いした。

 私もこの2.3年まえから心臓にくるようになった。
 冷たいほど心臓が締め付けられるようになる。
 しかし、水の冷たさが精神を集中させてくれる。
 水が冷たくないと体が納得しないのである。
 御宝前でお題目をお唱えするときも、このように集中しょうとする。
 御祈祷のときもこのように集中する。
 お題目の行もこのように精神を集中することが大事である。

 尼さんは大きな声で体から汗が吹き出るくらいに唱えながらも、お線香が落ちる音を聞けるように修行しなさいと言った。
 まだまだそこまでは到達できない。目標を与えて下さったことに感謝する。
 ようやく灯明の動き、お線香の煙の動きが、尼さんのおっしゃった通りと分かりかけてきたとこだ。お線香の灰が落ちる瞬間は気づくようになったが、まだ音は聞こえない。
 耳が遠くなってきたが、これからも修行と思っている。
 皆さんもご精進を。