64.節分

 元旦の行事がおわって、気がつくと節分が近づいてきました。
 豆まきのときに、いっしょにまくオモチャや文具などをと思うだけでも楽しくなります。
 「豆をまく」というのは、作物の豊穣を願うことと言います。そして、その豆を拾うのは草取りを意味しているとも言います。
 私達がしている豆まきは、「豆を打つ」という方が正しいのです。、鬼に向かって豆を打ち付ける行為は、悪い者を退治することを意味しています。
 正確には、追儺(ついな)と言います。鬼を払うということです。
 日本では嵯峨天皇の前より、この行事があったようで、12月の大晦日の夜8時からしたそうです。戈(ほこ)で楯を3度うち、桃の弓と葦の矢を放ちます。桃の杖で悪鬼を駆逐するまねをしたそうです。
 豆を打つようになったのは、室町時代です。豆を打つのは、鬼の目をはじくということです。あるいは、鬼の目刺しという行為を意味しており、ともに邪鬼を払うものでした。

 私達にとって、「鬼」とはなんでしょう。
 不幸なこと。災害。病気。親・妻・夫・子供・兄弟・親戚・知人などたくさんありますね。時代によっては現在よりも戦争・天変地異・疫病などは、防ぎようになかったことでした。鎌倉時代の日蓮聖人のときでも、天皇家や幕府は神社仏閣に、戦勝祈願や雨乞い・五穀豊穣・疫病退散のために莫大な金品を費やしています。
 人間の願いというのは、昔も今もかわらないようです。
 また、欲心というのもかわらないようです。

 時代が経てば経つほど、人心は乱れてくるというのが、末法思想で、仏教が説くところです。
 南無妙法蓮華経は、その闇を払うものです。
 生きている私達は、住みよい家庭を願い、社会を願い、そして地球を大切にしなければなりません。
 今年も、皆さんの除災得幸を願って豆「魔滅)をまきましょう。