69.ご先祖さまを送る

 毎年お盆はご先祖様が帰ってきて家族の安泰を願い、そして、たくさんのお土産を持って先祖の膝元に帰るときである。
 どのような罪を作った悪人でも、このお盆には家族の元に帰る事ができる。
 供養を受けることが一つの罪を消すことになるのである。
 亡き人にとってお盆は楽しみの時であり、供養をしてもらえるかどうかの大事なときである。
 釈尊は72歳のときから法華経を説いた。
 法華経には人の命は永遠であると説いている。
 それを久遠(くおん)という。
 人生は無常ではなく常住であると説く。それは自身が人生を開拓できるからである。
 釈尊は「常に此に住して法を説く」(常住此説法)と説いている。
 大火に焼かれている現実の同じ私達の世界であっても、釈尊は大火に焼かれることなく安穏であると説いている。そして、天人が充満しているという。
 肉体を離れた世界ではあるが、同じ世界ではありながら、どうしてこのような違いがあるのだろう。

 お盆は目連という釈尊の偉大な弟子が、亡き母を成仏させようとして行なわれた供養が最初である。
 目連の母は餓鬼道に堕ちて苦しんでいた。
 母は生前ものすごく自我が強く、強欲で人に物を施すことがなかった。その罪により餓鬼の世界に堕ちた。
 自業自得なのだ。

 同じ人間でも天上界に生まれる者もいれば、餓鬼道に堕ちる者もいる。
 肉体を離れて魂となったときに、住む世界がかわるのだ。それは、生前の行ないによる自業自得によるからである。

 お盆には先祖はお寺に集まる。そして、たくさんの法味をいただき、たくさんの供物を持って先祖の元に帰る。
 そして、一つの罪を消し終えて天上に近づいていく。
 お盆の法要はそのためにある。
 目連はその有り難さを示したのである。