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毎年お盆はご先祖様が帰ってきて家族の安泰を願い、そして、たくさんのお土産を持って先祖の膝元に帰るときである。 どのような罪を作った悪人でも、このお盆には家族の元に帰る事ができる。 供養を受けることが一つの罪を消すことになるのである。 亡き人にとってお盆は楽しみの時であり、供養をしてもらえるかどうかの大事なときである。 釈尊は72歳のときから法華経を説いた。 法華経には人の命は永遠であると説いている。 それを久遠(くおん)という。 人生は無常ではなく常住であると説く。それは自身が人生を開拓できるからである。 釈尊は「常に此に住して法を説く」(常住此説法)と説いている。 大火に焼かれている現実の同じ私達の世界であっても、釈尊は大火に焼かれることなく安穏であると説いている。そして、天人が充満しているという。 肉体を離れた世界ではあるが、同じ世界ではありながら、どうしてこのような違いがあるのだろう。 お盆は目連という釈尊の偉大な弟子が、亡き母を成仏させようとして行なわれた供養が最初である。 目連の母は餓鬼道に堕ちて苦しんでいた。 母は生前ものすごく自我が強く、強欲で人に物を施すことがなかった。その罪により餓鬼の世界に堕ちた。 自業自得なのだ。 同じ人間でも天上界に生まれる者もいれば、餓鬼道に堕ちる者もいる。 肉体を離れて魂となったときに、住む世界がかわるのだ。それは、生前の行ないによる自業自得によるからである。 お盆には先祖はお寺に集まる。そして、たくさんの法味をいただき、たくさんの供物を持って先祖の元に帰る。 そして、一つの罪を消し終えて天上に近づいていく。 お盆の法要はそのためにある。 目連はその有り難さを示したのである。 |
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