75.釈尊とわたしたち

 釈尊が生まれたときに「天上天下唯我独尊」といったといいます。
 解釈のしかたでは、ずいぶん偉そうなことを言うと思われます。
 日蓮聖人は法華経の
  ただ我、一人のみ、能く救護をなす」
 の譬喩品の経文をお引きになり、釈尊という仏さまのみが、私たちを救って下さると言われたとのべています。
 釈尊が生まれて立ち上がり7歩、歩き、そして、右手の人指しを上にあげ、左手の人指し指を下にさして、さきの言葉を発したということを考えてみますと、釈尊の母親は家に帰って釈尊をお生みになられようとしました。今でも子供を生む時には実家に帰る風習がこのときにはあったのです。その途中に産気がありルンビにーという花園に休まれて、そこで釈尊が生まれました。仏伝には右のわき腹から生まれたとあります。これは切開による出産であったことをいうものだと思います。
 生まれたときの釈尊の姿が右手を上にしており、泣き声をだすために立ち上げたときの声が「唯我独尊」というインドの発音に近かったとも思えます。
 さて、法華経の化城諭品によりますと、わたしたちが住む娑婆世界というのは悪人が多い世界といいます。宇宙は広く人類がいるのは地球だけではなく、三千大千世界あると説いています。釈尊の説法のときにも観音菩薩など多くの菩薩は他方から来た菩薩といい、この地球の人ではありません。これらの菩薩からみると誰もが手を焼いて捨て去った悪人が集まるところが娑婆といいます。
 したがって私達を救って下さるという仏様はいなかったのです。阿弥陀仏にしても五逆罪を犯す者と正法を謗る人は救わないといって西方に行かれています。
 釈尊のみが私たちを救って下さるということから 「ただ我、一人のみよく救護をなす」 といわれたのです。日蓮聖人は釈尊こそが私たちの親であり娑婆世界の主であり、私達を教え導く師匠であると、主・師・親の三徳を説かれたのです。法華経は釈尊のあらわれで、南無妙法蓮華経と唱えることにより釈尊の功徳を戴けるというのが日蓮聖人の教えです。お題目をお唱えしましょう。