84.日蓮聖人の曼荼羅本尊(2)ー初期ー

日蓮聖人と曼荼羅本尊(2)

 南無妙法蓮華経と「題目」を唱えることは、『妙法蓮華経』というお経に帰依するということです。これは、『妙法蓮華経』に説かれている釈尊の教えを信じ、帰依するということで、ここが一番大事なところなのです。

 釈尊は一代50年の間にたくさんの教えを説かれました。そのなかでも、釈尊は最後の8年間に説いた『法華経』を真実であり本懐の教えであると説いています。私たちが南無妙法蓮華経と唱えることは、このことを信じるということなのです。

 私たちは「曼荼羅本尊」に向かって南無妙法蓮華経とお唱えしています。誰もがあたりまえのようにお唱えしていますが、ここに至るまでには、日蓮聖人の壮絶な法華経の行者としての行動がありました。その最後の関門が竜口法難と佐渡流罪になります。

 そのまえに、もう一度、「曼荼羅本尊」を図顕する以前の信徒の信仰形態についてふれてみたいと思います。

 文永元年(1264年)、日蓮聖人が43歳のときに大学三郎の奥様に宛てられた『月水御書』があります。そのなかに、

「又、南無一乗妙典と唱させ給事、是同じ事には侍れども、天親菩薩・天台大師等の唱させ給候しが如く、只南無妙法蓮華経と唱させ給べき歟。是子細ありてかくの如は申候也。」

 ここに、大学三郎の奥さんが「南無一乗妙典」と唱えていたことがわかります。一乗妙典とは『妙法蓮華経』のことです。『法華経』は二乗作仏を説いて、誰もが仏になれると説いていますので、「実大乗」「一仏乗」といいます。

 これにたいして、日蓮聖人は天親菩薩や天台大師のように「南無妙法蓮華経」とお唱えするように勧められたのです。 まえに引いた『法華題目鈔』と同じように、『妙法蓮華経』の教えに帰依しますという心で、南無妙法蓮華経と唱えることを勧めています。

 当時の信徒は『法華経』を机の上に置いて、あるいは手に持ち、あるいは壁に立てかけて合掌して南無妙法蓮華経と唱えていたのです。『妙法蓮華経』のお経本が本尊の代わりであったあったことがわかります。