91.精龍の滝道場(19) 畑仕事で得たこと

お寺に来て一番、うれしかったことは、必要とされていると感じたことでした。
 お寺には男手が少なかったので、力仕事や大工仕事に重宝されたのでしょう。大型のアイヌ犬の世話や、石炭・マキ・雪かきなど、労力になれたことが嬉しかったのです。昭和43年のことですから、今のお寺が建つ前の平屋の時代です。冬になる前に窓にビニールを張って寒風を防ぎ、屋根の雪が落ちて窓ガラスが割れないように雪除けを作ったころです。
 お滝の道場は山間にあり、熊が出没するところですから、私みたいな者でもいないよりは良かったと思います。フキ・キノコなどの山菜取り。畑を耕してダイコンをうえていましたし、山中の倒木をかついできてマキにします。電気の通わないところですから、昔のノコギリで切り、斧で割り、夏の間に積んでおくのです。
 一つ一つの仕事をキチンとしなければなりません。当たり前のことですが、手抜きをすると後でそれがあらわれてきます。畑を耕すにも、畝をつくるにも、種を植えるのも、形が残り仕事ぶりがあらわれます。それは、作った人の人格があらわれることです。尼さんはそれを教えて下さったのです。
 お経は時間が経てば誰でも読めるようになりますが、このような日々の雑用のなかにこそ、大切な教えと悟りがあったのです。
 この経験がご祈祷をする僧侶としての体力を養い、また、仕事をやりとげる気力・忍耐力、そして、責任感を養ったようです。車窓から様々な畑を見るたびに、あのころは何でこんなことをするのかと思っていたことが、今になって、無駄なことではなかったと尼さんに感謝しています。