93.厳冬の身延に供養

日蓮聖人は56歳の暮れから体調を崩されていきます。このころの身延は、これまでにない寒さが続いたとのべています。土地の長老たちに聞いても、これまでに経験をしたことがない程の寒さだといいます。

 寒さと飢饉がつづき、日蓮聖人のもとにも十分な食料が届かなかったこともありました。とくに冬は積雪のため、身延の日蓮聖人のもとに訪れる者も少なく、供養を使者に託して届けるにも、川がせき止められ、馬や人も大雪を踏み越えて山中に入るには難儀なことでした。日蓮聖人は

「今年の寒きこと、生まれて已来(このかた)いまだおぼえ候ず。雪なんどのふりつもりて候こと、おびただし。心ざしある人も訪(とぶら)いがたし。御おとずれ、をぼろげの御心ざしにあらざるか」(『定遺』1900頁)

 気持ちがあっても、身延の草庵まで来ることは容易なことではないことを承知しているとのべています。しかし、そういう悪条件のなかにも、供養が届けられたことにたいし、日蓮聖人の喜びはおおきなものでした。尋常の信仰心ではないと喜ばれ、その功徳も釈尊・多寶仏・十方諸仏を供養することであるから、まちがいなく大きな善根となることを知らせているのです。

 ここには、日蓮聖人個人を供養するという意識ではなく、法華経に供養するという意識が見られます。日蓮聖人は法華経の行者として、私たちからは偉大な高僧なのですが、日蓮聖人のなかには凡夫として寒さに苦しみ、飢えに堪えられず餓鬼となる自分を認めていました。消えかかった灯心に油をそそぐように、自分に法華経を読誦する力を与えてくれたと喜ばれているのです。

 日蓮聖人は法華経に身をまかせ、釈尊に忠実に法華経を広められました。私たちの信仰においても驕り高ぶることなく、謙虚に信仰しなければならないことを教わります。