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蓮の実会発行『妙声』4〜11号所収 (昭和44〜45年) 『朝』……目をさますなり、カーテンを開けて見た……しかし……空は一面の曇空で、日の出る所なく待ちに待った今日は清竜の滝行堂の開堂式。 昨日から心配し続けて居る天気だったが……私は手を合わせ空に祈らずにいられなかった。 思い出すことは三年前(昭和三十八年)の秋の事である檀家の宇恵田さんの奥様より精竜の滝の恐ろしい魔の出る話を聞き、一度是非行ってみたいと思ったことがあった。でも其の話も、それまでの事にて忘れて三年の月日が過ぎてしまって居た。 今年八月二十三日宇恵田様の親のご命日でお参りに行きました折、奥様よりまた精竜の滝の話を出され、今日この後、見に行こうとまで話が進みましたが、生憎とこの日は雨で、水が多いと川を渡る為に行けないとの事に、以前のように話が立ち消えそうになるのを心配しながら寺へ帰る。 早々に、此の話をお上人に伝えた所、一度行ってみようと云うことになり……九月一日お上人始私、久保寺、K、O、五名、車で行ってみたが、全然わからなかった……が……此の滝に縁があった為か、その夜、寝付かれぬままに滝の事ばかりを考え続けた……私は一つの事をどこまでも通さずに居られないものがあり、この強い心が朝、九月二日又此の滝へ行く心をきめ、お上人に、ついに一日暇をもらう事になり……昨日のメンバーで、五時までに戻ることで寺を十時に出発。 ただ平和の滝の方と云う事をたよりに……どこにあるかも知らずのまま、一路、精竜の滝へと、むかったのです。この日は天気もよろしく暖かく、レクリエーションにはとてもよく気持ちのよい日でした。 でもただ話だけの滝で……誠に雲をつかむ様なものでした……まず……平和の滝を目標とし、村人にたずねますと、平和の滝はおしえてくれても、精竜の滝となると、ただ知らぬと云う……こたえだけで、おしえてくれる者はなく、知らぬの……一点張りである。 そこで、平和と書いてある所より左へ入った(平和の滝は右道大きな立札がある身延山別院平和の滝とある)左の道は人もあまり歩かないと見え、よい道ではないが車の入れるほどの道幅があり、その道をどこまでも進んで行ったところが、……こんどは、とても車では行けない道となってしまった……そこに……一軒の家があり、三人を此の家に(様子を見に)テイサツにやったのである(平和湖荘と云う成吉思汗を食べさせる所)。 その間私は車を出て、ブラブラして居たが……フト見ると、ススキがあり、月見草があり、野菊も美しく咲き、初秋と云う感じが又すがすがしい心の清まる思いでなにげなく両手を上げて、大きく息を吸って、深呼吸を、何度かそのまま続けた。 空は青く、雲一つなく、どこを見ても緑、で赤いものと云えばブドウの葉が少しである。ススキは白く、紫色の花を野菊が付けて、それが何んとも云えなく美しく、更に心をスガスガしくしてくれました。 そこで、お日様に手を合せ、お唱題をさせて頂き、車に帰った所へ三人がもどって来て、話では、ジュースをのんで色々聞いた、との事だが……知った事は此の山の後ろの方に温泉のボーリングした所があると云う事だけであった。 平和湖荘を経営して居る人は、もと道庁に努めていた事があり、此の山をしらべて居た人で、安藤さんと云う。 此の山は温泉が出ると見込み道庁退職後、国有林の為め山を借用し二ヶ所ボーリングしたが三十八度ぐらいのお湯しか出ず、お金も不足し現在は、一時中止し成吉思汗をやっている。 妙覚寺の行堂は、此のボーリングした所に建立したのである。 |
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