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そこで、又、水行をしてきて夜のお経をさせて頂き、Kがランプの火を点けてご飯の支度をして頂き、私が6時半頃食事をしている時、私の座っている後ろを誰かが歩くような音とともに畳が動きました。変だと思い「来ているな」と思った。 Kも気づいたとみえて、私の顔を見ながら左手に茶碗を持ち右手で「ウルサイネ、ユックリご飯を食べさせなさい」と言って畳をバンバンと叩いた。私は「かわいそうに、せっかく来ているのだからかまうものでないよ」と言うと、Kは「それだって落ち着いてご飯も食べられないもの、こんなに早く来たことはないのに尼さんが二、三日留守にしていたから待っていたんですね。畳を叩いたら静かになりましたね。」 毎夜の事ながら外の足音にもなれて気にもならず、色々昔の若かりし話をしたりして時間をすごし、9時頃、室と台所を仕切っているカーテンがジャヮーと一気に開いた音で二人ともビックリ。今までの昔話もどこえやら、夢中でお題目を唱えました。 今まで外の音ばかりだったのが、家の中で音がするようになりだしたら、私とKと二人の時も檀家さんがお参りに来ていてもお客さんがいても、昼も夜もなく、玄関の戸がガラガラと開いて人が来たような音がして、「誰か来ましたよ」と言われて出ていけば、戸は開いてなく、カーテンがザワザワと開く音がする。人の目には見えないが音だけは、どなたが来ても今は聞く事ができる。 3月9日、函館の中川コノエさんにきて頂き、この方も函館に行堂を持っている尼さんです。精竜の滝の行堂へ着いたのは9日の昼頃、Kに静養の為に山を降りて頂き、最初に来て頂いていたYと変わってもらいました。中川さんが行堂へ着いた夜、すぐ中川さんの寝ている布団に乗られ、中川さんもビックリして起き上がった。翌日から中川さんと二人で一日七回の水行をし、毎日出てくる霊魂を調べることにし、10〜13日の4日間、朝5時より夜10時まで17時間、お滝へ水行しては読経とお題目、お滝より行堂へきては御宝前で読経とお題目、また、お滝へ水行に行きそこで読経とお題目、帰っては御宝前で読経とお題目、朝、昼、夜の食事は30分。 中川さんとは、去年、本化妙宗連盟(9月根室)の時お逢いした。久しぶりなので色々とお話もありましたが、その話もする暇もなく夢中でした。その中に中川さんが目がまわると言い出した。私も11月からですから体にこたえてきているのが自分でもわかるが、中川さんには気の毒と思いましたが一生懸命になって下さるし、Yは食事の方で栄養がつくよう考えて下さるし、この時、私はもう二貫以上も痩せておりましたが、中川さんのいる内に一日でも早く霊魂をはっきりしたいと思い、中川さんもあまり長く札幌にいられないので少しでも力になりたいと言って下さり、二人とも本当に夢中でした。 この心が諸天に認めて頂けたのか13日の夕方、定山坊さんが御宝前にお見えになった。 書きおくれましたが、私はどうかするとよく色々なものが目を開いていても、つぶっていても、いなくても見えるのです。天然色に見える事もありますし、体に来るとき(のりうつる)もたまたまあります。 また、中川さんも目に見る時もあるが体に来る方が多い方ですから、この時は、私は中川さんの体を借りる事にしました。中川さんにも何も言う暇がなく(読経中でしたので)後で、中川さんに叱られましたが。 ここで定山坊さんの物語が始まります。 |
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