7.枕経について

 「一緒に死にませんか」とインターネットで呼びかけて、本当に死んでしまう事件がありました。
 しかし、 「長生きしたい」と思うのが普通だと思います。7.
 若いときは自分の死についてあまり考えないと思います。祖母とか親戚のお葬式、そして親の葬式を通してはじめて考えることかと思います。それでも、自分というよりは年上の人たちとの別れがいずれ来るという悲しさのほうが先かと思います。
 生きているうちに尽くそうとか、話をたくさんしょうとか思います。
 お坊さんはお葬式をしますので、たくさんの別れとその悲しみを、身にも心にも感じます。
 私は坊主なのに葬式はイヤです。それは悲しいことだからだと思います。しかし、自分がしなければならないと気を引き締めます。
 皆さんはどう受け取るかわかりませんが、死んだ人は必ず遺体の側にいます。いなくてもお経を唱えると必ずお経を聞きに来ます。
 死んだ人が唯一話せる人が坊さんなのです。
 死んだといっても、本人のなかでは迷っていることがあります。病気で苦しんで死ぬ人や、突然の事故で死なれた方もおられるでしょう。でも、時間とともにそれは理解しなければならないことです。
 家族に話したかったこと、やりとげれなかったことが迷いの心をつくるのでしょうが、それも消えて黄泉路の支度に入ります。
 枕経は亡くなった人に死んだことを伝えます。体に病苦が残っている人には、お経の力で抜いてあげるように願います。
 信仰のあった人と信心のない人では、この枕経のときに違いがあります。妙覚寺の檀家さんはほとんどの人が納得した姿、お顔をしてこちらを見ます。
 少し驚いている人もいます。死後の世界があったんだ、お上人は私を見ることができるんだ。法華経のお経は心地よく有難く体の痛みを取り除いてくれる、などなど感じているのでしょう。
 また、信心深い人は、私が姿を見ても当たり前のように手を合わせて下さいます。
 めったに遺族の方にそのような話はしませんが、話をするときには家族にしかわからないことを死んだ人は教えて下さいます。
 必ず枕経をあげて亡くなられた方の心身の痛みを取り除いてあげ、安らかな心にしてあげなければならないと思います。
 たとえ自殺した人にも、今度生まれてくるときは強い心身と生きる喜びを持たれるように祈ってあげたいものです。